イグレン 加藤 文男
「技術移転」は、日本から東南アジアへの移転だけではない。戦後、日本の産業と経済の発展は,欧米諸国からの技術移転によるところが大きい。
1946年頃、GHQ民間通信部が、電気通信関係の産業に管理技術の一部を導入した。1948年頃から、日本科学技術連盟は品質管理の研究が開始し、1949年には各種品質管理セミナーを開始した。1950年には、日本規格協会は品質管理方式研究会を発足した。
1950年代には、デミング博士が何度も来日し、品質管理や市場調査に関する講演会を開催し、指導をした。1954年には、ジュラン博士が経営面から見た品質管理の講習会を開催し、品質管理の重要性を指導し、我が国の経営者層に刺激と大きな感銘を与え、日本の産業の発展に非常に貢献した。
日本科学技術連盟主催の品質管理部課長コースや品質管理セミナーベーシックコースには、製造業の開発設計技術者や品質管理部門の技術者が毎回大勢参加した。日本規格協会も品質管理の考え方を主とした研修コースを実施した。これらのセミナーでは欧米にて最先端の管理技術を学んだ電電公社の技術者や大学の先生が講師として指導した。当時「技術移転」とは言っていなかったがデミング博士やジュラン博士の講習会及び大学の先生や研究機関の技術者による欧米からの管理技術の習得は、すべて「技術移転」に他ならなかった。当時日本の産業界が受けた「技術移転」には、意思決定を支援するツールとしてのオペレーションズ・リサーチ(OR)、統計的手法、実験計画法、信頼性工学など多数あった。
日本も経済発展のために貿易の自由化が叫ばれ、日本科学技術連盟や日本規格協会のセミナーで品質管理を学んだ受講者が企業の合理化や体質改善の道具として、多くの製造業が品質管理を導入した。1950年代後半には、日本短波放送にて品質管理に関するラジオ講座も開催されていた。1960年代後半には、特性要因図、パレート図、ヒストグラム、チェックシート、散布図、管理図などの統計的手法を現場の作業者に作り方、使い方を教え込んだ。現場の作業者は、製造ラインごとにグループを作り、自分たちの製品の不良品の現象を整理し、原因を分析し、面白いように問題を解決していった。これが品質管理を応用したQCサークル活動が始まりであり、日本科学技術連盟が主催するQCサークルのリーダーによる成果発表会が各地で頻繁に開催された。欧米から「技術移転」された品質管理が全社的品質管理(TQC)へ、更に総合的品質管理(TQM)へと発展させた結果であった。
戦後日本からラジオやテレビジョン他多くの電気製品を欧米に輸出したがその品質が悪く「安かろう 悪かろう」と大変評判が悪かった。これらの大変評判の悪い日本製品を「Made in Japan」は欲しいと評判を高めたのは、欧米諸国から品質管理をはじめとする各種の管理技術の「技術移転」によることが大きい。特にQCサークル活動は、現場の作業者が第一戦で職場の改善に取り組み、作業者が原因の不良を解決すると使用する原材料(部品)の問題解決、更に、設計に起因する品質問題や作業性の改善を要求し、製品の信頼性の向上に結びついた。
高度な技術を持ち、製品を開発し、製造する欧米企業は、日本からの訪問者に対して最先端の技術を有する工場を見学させてくれた。当時の欧米企業は、これらの見学者に対して企業秘密なども含めて大へんおおらかに自由に見学させてくれたという。日本の製造業は、アメリカやヨーロッパの企業を競って調査団を派遣し、訪問し、工場を視察させてもらった。これらの視察を通して、自動車産業、電気機器製品、化学工場、造船などのメーカーの経営者や技術者は、多くの生産ラインや工場を見学し、技術を習得すると共に、生産システムを学び、吸収し、それを日本の企業内へ応用した。欧米の各企業も工場を見学することで短期間に技術を習得し、欧米企業を脅かすことになるとは思いもよらなかったに違いない。
このように第二次大戦で疲弊した日本の各種産業に刺激を与え、復興更に大きな飛躍発展の原動力となったのは、欧米諸国から日本への管理技術を中心とする「技術移転」であった。これらの欧米からの「技術移転」のおかげで日本は、1970年代に欧米に追いつき先進国の仲間入りをすることができたといわれる。